厚木中学校のあゆみ 昭和20〜39年

昭和23年(1948)3月卒業生

第1回1948年(昭和23年)3月卒業生「終戦間もない昭和22年、新制中学校として厚木小学校の一部を借りて発足しました。私達3年は2クラス95名。クラスは初めての男女共学で、仲間は厚木市内ばかりではなく、戸室や妻田、林など近隣の地域からも通学してきておりました。
 世の中は戦後の混乱もまだ収まらず、みんなが貧しい生活の中での青春の一年間を送ったものです。勿論、制服もなく教科書も粗末なものでしたが、初めての英語の授業に戸惑ったり、新しい教科に興味があった事が思い出されます。」

(昭和23年3月卒業生)

昭和23年3月卒業生

「校長以下17人の教員が配属になり、学級は10学級で、1年が5組、2年が3組、3年が2組でした。教育指導は教科担任制で、新しい学習指導要領で民主主義のもとに、手探りの授業を始めました。
 5月3日、新しい憲法の施行により教育の歩みも徐々に確かになり、軍服を背広に着替え、髪を伸ばし、食事は粗末でしたが、開放感に満ちた学校生活でした。」

(昭和23年職員)

昭和23年(1948)昭栄製糸繭乾燥場を改装し厚木町立厚木中学校とする

「見渡す限り田圃の続く中にぽつんと建った木造2階建て校舎、家からはずいぶん遠く感じたもの当時は物資のない時代、男子は殆どが下駄履き、女子はズック靴、思い思いの服装で通学していました。
 学校東側、南北に流れる昭和用水(田村堀)農業用水として平塚市田村迄流れるこの水路には、鮎や鮒が生息し、きれいな流れは夏になると水が増し、下校時には友達に鞄を持たせ歓声を挙げながら泳いで帰ったこともあった。今では到底考えられないことである。通学経路には、夕方になると葦の繁みから蛍が飛び交う自然豊かな環境でした。」

(昭和24年3月卒業生)

昭栄製糸繭乾燥場を改装した木造校舎

「いま学校の玄関にある百号の油絵「花菖蒲」や、私のデザインだったバッジや校章が、今なお息づいていることを思うと感慨無量。今日まで厚中とかかわってこられた多くの方に感謝しつつわが厚中の発展を祈っています。」

(昭和25年職員)

昭和25年(1950)校舎落成式(第1期工事)

「教室不足で生徒を収容しきれず、1年生は午前番と午後番にわかれた二部授業であった。午前番は午前中登校して午後は帰宅、午後番は午前中自宅にいて午後から登校というもので、これを月毎に交互に交代したと記憶している。当時の中学生は自宅で毎日勉強などする者は稀だったので、学校に拘束される時間が短いということはそれなりに楽しいものだった。」

(昭和27年3月卒業生)

校舎落成式

昭和20年代後半ー田村堀より校舎を望む

「年を経、生徒数の増もあって、校舎、校庭の整備が急がれ、進展するも実状に間に合わず、その頃松枝町にあった県立厚木東高等学校の校舎の一部を借用して、分校生活を送ることになりました。
 本校と分校の距離は300m以上もあったと思いますが、学校の側を流れる田村堀に沿って、試験管やビーカー、フラスコ等を両手に抱え、分校の授業に通ったことを覚えています。」

(昭和29年職員)

田村掘

昭和30年代―厚木中学校周辺のようす

厚木中学校前 本厚木駅北口 市役所前

「当時厚木中学校の辺りは、現在の姿とは程遠く、閑静といえば閑静な田園風景が広々と展っていました。本厚木駅前の小さな広場には殆ど何もなく、ぽつんと一軒だけ洋品店があり、周辺は一面田圃でした。」

(昭和30年職員)

昭和32年(1957)創立10周年当時の校舎

「当時は体育館や講堂もなく、朝礼や集会などは新校舎2棟の間の砂利敷きの空き地で行われました。」

(昭和34年職員)

「記憶に残るユニークなシステムがあった。「スタディー」と称された勉強クラスの存在である。授業はすべてこのクラスで受けることになっていた。何よりも大勢の友との出会いのチャンスが増えたことが利点だった。」

(昭和34年3月卒業生)

創立10周年当時の校舎1

「当時で思い出すことは、厚木中学校には「クラス」と「スタディー」という独特の編成があったことです。スタディーは勉強する仲間で、教科の先生が教室に見えるのではなく、生徒の方が教科の先生の教室に移動するので、休み時間になると廊下は生徒で一杯でした。クラスとスタディーのおかげで多くの友達ができました。」

(昭和35年3月卒業生)

創立10周年当時の校舎2

昭和38年(1963)旧体育館落成式

「昭和28年の3月、体育館のない学校ではその(生徒の演劇)発表場所をどこにするかが問題でした。その頃は舞台らしきところといえば映画館しかありません。今は亡き校長先生のご英断で、東町の厚木キネマ館を貸切にして発表することができました。しかし前日最後の練習は夜の上映終了後です。終わったのは夜の12時過ぎ。今の学校ではとても考えられない演劇発表風景の一こまです。3年位続きました。」

(昭和32年職員)

旧体育館落成式

「(体育館ができる前は)生徒会総会や弁論大会を厚木東高校(現在厚木小学校のあるところ)の体育館で行なったし、卒業式は中央公民館(現北公民館)で行なったと記憶している。生徒が腰掛をかかえ持って、長い列を作って運び、会場作りをした。」

(昭和34年職員)

「当時、厚木市内には千人以上を収容する建物は厚中の体育館だけでした。商店街主催の歌謡ショーなどにも利用され、有名芸能人を間近に見たこともありました。」

(昭和40年職員)